目的は、生産量を安定させることである。それには、貨幣量を安定させればよい。つまり、貨幣量を安定させることで、生産量を安定させる。
では、その理由は? 二つある。──一つは、経験的な事実だ。過去の統計を見ると、両者に強い相関関係があるという事実が判明する。もう一つは、理論的な根拠だ。これは、以下の通り。
理論の初めに、次の二つの式を示そう。(ただし、Sは貯蓄、Yは生産量、Cは消費、Iは投資。)
S = Y − C
I = S
第1の式は、「貯蓄は、生産量から消費を引いた額である」ということだ。これは、定義である。(だから問題ない。)
第2の式は、「投資の額は、貯蓄の額に等しい」ということだ。これは、「金融市場で需要と供給が均衡する」ということによる。投資は資金の需要であり、貯蓄は資金の供給である。両者は、金利の変動を通じて、金融市場において均衡する。(需給曲線のモデルによる。)
この二つの式から、次のことが結論される。
「消費が減ると、その分、貯蓄が増える。すると金融市場では、資金の供給(つまり貯蓄)が増えた分、金利が変動して、資金の需要(つまり投資)が増える。……結局、消費が減ると、その分、投資が増える。」
こういうわけで、消費と投資の和である民間需要は、常に一定である。政府が公共事業をいちいち増やさなくても、民間需要だけでしっかり安定するのだ。
では、そのための条件は? 資金の需要と供給が均衡することだ。つまり、第2の式が成立することだ。そして、それは、原理的には成立するはずだ。とすれば、金利を無意味に変動させないために、貨幣量をなるべく一定の量にしておけばいいだろう。
ただし若干、補正を要する。原則としては、貨幣量をなるべく一定の量にしておくべきだ。しかし現実には、国全体の生産量は少しずつ拡大していくせいで(および他の理由のせいで)、貨幣需要が増えていく。これらの分を考慮すれば、およそ年に8%程度、貨幣量を増やせばよいだろう。
以上が、フリードマンの説だ。この「年に8%程度という一定の割合で、貨幣量を増やす」という方法を、「xパーセントルール」と呼ぶ。(この例では、8%という値を用いた。ただしこの値は、ある程度の曖昧さがある。そこで「xパーセント」という言葉を用いる。)
A 「需要」と「消費」
ミクロの「需要」という用語は、マクロの「消費」という用語に相当する。両者は、用語は異なるが、意味はほぼ同じである。
( ※ 経済学一般の用語では、「需要」と「消費」はもちろん異なる。両者の差が「投資」である。とはいえ、マクロ的に動的な認識をする限りは、「需要の変動」と「消費の変動」は同じものである。なぜなら、「投資」が一定であれば、「投資の変動」はゼロになるからだ。というわけで、「投資の変動」を無視して、「需要の変動」として「消費の変動」だけに着目すればよい。……この件については前にも述べた。)
B 「総〜」
それぞれの値が全体市場の値であることを強調するために、「総〜」というふうに呼ぶことがある。たとえば、「総消費」「総生産」「総所得」というふうに。
とはいえ、わずらわしいので、「総〜」を省いて、単に「消費」「生産」「所得」と呼ぶこともある。(あまり気にしなくてよい。)
C 基本要素
用語がいろいろある。すると、モデルには変数がいろいろあるように思えるかもしれない。しかし基本となる変数は、次の三つだけである。
「消費」「生産」「所得」
この三つのうち、「消費」と「生産量」は、ミクロの「需要」と「供給」に相当する。また、「所得」は、マクロのモデルで新たに加わったものだ。
要点はすでに示した。いよいよ、モデルを厳密に構築することにしよう。
まずは、モデルのための数式を提出する。修正ケインズモデルには、基盤となる数式が二つある。次の二つだ。
C = Y − I (Iは定数)
C = g・Y + h (gとhは定数)
前者を「第1式」 と呼び、後者を「第2式」と呼ぼう。
第1式は、グラフでは「生産直線」(グラフの傾きが1)に相当する。
第2式は、グラフでは「消費直線」(グラフの傾きが0.7または0.8)に相当する。この傾きの値は、第2式におけるgの値である。
基本数式の二つの式を取ったあとで、この二つの式をグラフ化すると、先のグラフになるわけだ。
となると、基本数式の二つの式がどういうふうにして登場するか、というのが問題となる。では、その説明をしよう。
まずは、変数を導入する。変数として、次の五つがある。(カッコ内は、変数を示す代数)
生産量 ( Y )
所得 ( Y' )
消費 ( C )
貯蓄 ( S )
投資 ( I )
五つの変数が提出された。ただし、これらの変数はたがいに独立しているわけではなくて、何らかの関係がある。では、どういう関係があるのか? ──そのことを示すには、変数の消去をするとよい。変数は五つあるが、このうちの三つは、他の変数から定義される形で、消去されるのだ。具体的には、 Y' とSとIは消去されるのだ。
ではさっそく消去の処理に取りかかろう。そのために、一種の恒等式として、次の三つの数式を示したい。
Y' = Y
S = Y' − C
I = Ia(定数)
この三つの数式が成立するのだ。その理由を、次の@ABで順に示そう。
@ 「所得」の消去
Y' = Y
が成立する。つまり、所得( Y' )と、生産量( Y )とは、値が等しい。ゆえに両者はともに「 Y 」という同じ文字で示される。
( ※ この二つの値の値が等しいことは、先に「三面等価の原則」として説明した通り。この話は、詳しく説明すると面倒になる。とりあえずは、このことは天下り的に受け入れてほしい。)
A 「貯蓄」の消去
S = Y' − C
が成立する。つまり、「貯蓄」は、「所得」から「消費」を引いた額である。
この式は、何かを意味しているわけではない。単に「貯蓄」という用語を定義しているだけだ。もちろん、ただの定義にすぎないから、この式は必ず成立する。(ここで定義された「貯蓄」は、日常生活で言う「貯蓄」とほぼ等しい。)
B 「投資」の定数化
I = Ia(定数)
が成立する。つまり、投資(I)は定数である。
この件は、先にも述べた。(U・3の最後で。)投資は、「変化しない量」ではなくて、モデルのなかで「独立変数」として扱われるだけだ。投資の量は、変動することは変動するのだが、金融政策によって調整されるのだ。つまり、投資の量は、「消費」や「生産量」の関数ではない。だから「投資」の量は、モデルのなかでは「定数」として扱われる。
基本数式を導き出す。先にも示したが、基本数式とは、次の二つの数式だ。
C = Y − I (第1式)
C = g・Y + h (第2式)
この二つの数式が導き出される理由を、次の@Aで説明する。
@ 第1式(生産直線の数式)
第1式は、
C = Y − I
である。この式は、どこから導き出されるのか? その根拠を示そう。
いきなり結論を言おう。第1式は、次の式と等価である。
S = I
この式は、次のことを意味する。
「貯蓄と投資は、等しい」(金額として)
このことは、成立するか? 原則として、成立する。金融市場において、資金の「供給」と「需要」を見れば、両者が均衡するからだ。資金の「供給」とは、「貯蓄」のことであり、資金の「需要」とは、「投資」のことである。両者は、市場金利の上下変動を通じて、均衡する。かくて、「貯蓄」と「投資」が一致する。というわけで、この式は成立する。
( ※ ただし、例外もある。金融政策によって、資金の「供給」が人為的に変動させられる場合だ。しかしこれはこれで、別の話題となる。)
さて。すぐ前の式を変形して、第1式にすることができる。これは単なる数学的な操作だ。具体的に示すと、以下の通り。
S = I
これは最初の式だ。先の三つの式から、Sを消去する。
Y' − C = I
これを得る。さらに、先の三つの式から Y' を Y に消去する。
Y − C = I
これを得る。この式で適当に移項して、
C = Y − I
これを得る。これが第1式だ。この式の意味は、次のことだ。
「消費は、生産量から投資を引いた額である」
ここでは、CはYの一次関数になっている。
A 第2式(消費直線の数式)
第2式は、
C = g・Y + h (gとhは定数)
である。すぐにわかるとおり、この式は、次の命題を意味する。
「消費は、所得の一次関数である」(CはYの一次関数である)
この命題は正しいのだろうか? 実は、正しいとか正しくないとかは、意味がない。この式は、他の根拠から導き出されたものではなくて、モデルとしての仮定である。「第2式は成立するはずだ」と仮定して(公理のように前提として)、その上で、演繹的に理論を構築していく。それが、修正ケインズモデルの理論だ。
結局、第2式が正しいかどうかは、修正ケインズモデルが正しいかどうかということと、等価である。だから、このあとは、修正ケインズモデルが正しいかどうかを、現実と照合しながら検証すればよい。(物理学の公式が正しいかどうかを、実験結果と照合しながら検証するのと同様。)
念のために言っておくと、第2式は細かなズレを除けば、基本的には正しいはずだ。この件は、次の[補足]で説明しておく。
[ 注釈 ]
第2式では、モデルを一次関数で示している。ここでは発想として、「近似と補正」という発想を取っている。
古典派の発想は、これと異なる。古典派の発想は、「精確さ」だ。彼らは、モデルを作るとき、一次関数よりも高度な複雑な関数を使う。高度な複雑な関数を使って、値を精確にすることで、議論が精確になる、と思い込む。しかし、そんなことはないのだ。値を精確にすることと、議論を精確にすることとは、別のことである。
関数の値を精確にするというのは、ズレを縮小するという意味しかない。しかし、ズレを縮小するだけなら、いったん近似したあとで、補正項を追加するだけで済むのだ。とすれば、高度な複雑な関数を使って、値を精確にすることなど、手間がかかるばかりで、意味のないことだ。
このことを指摘するために、ケインズは次のように語った。
「精確に間違うよりは、おおまかに正しい方がいい」
( I'd rather be vaguely right than precisely wrong. )
そうだ。高度な複雑な関数を使って、値を精確にしても、その関数がもともと現実にそぐわないものであれば、まったく意味がない。値を精確にしながら、大ハズレの結論を出すだけだ。一方、計算はおおまかであるとしても、モデルが現実と合致すれば、おおまかに正しい結論を出すことができる。それこそ大切なことだ。
ケインズは、そう考えた。本書もまた、同じ立場を取る。その発想が、「近似と補正」だ。ここでは、若干のズレがあっても、おおまかに正しければ、それでいいのだ。
古典派は、「複雑な現実を示すには、複雑な関数を使えばいい」と考えた。しかしそこでは、関数は複雑だが、発想が単純すぎる。
実を言うと、あまりにも複雑な現実には、単純な関数を使う方が適しているのだ。どんなに単純な関数であっても、その単純な関数が強い根拠をもてば、理論全体が強い根拠をもつことになるからだ。
【 要旨 】
┏───────────────────────────────────
┃基本数式としての二つの数式は、それぞれ次のことを意味する。
┃「消費は、生産量から投資を引いた額である」
┃「消費は、所得の一次関数である」
┃この二つの数式から、強い根拠をもつモデルを構築できる。
┗─────────────────────────────────── ◇グラフ化
基本数式とは、次の二つの数式だ。
C = Y − I
C = g・Y + h
この二つのどちらにおいても、CはYの一次関数となっている。(だからグラフ化すれば直線になる。)
さて。この二つの数式を、グラフ化したい。では、その方法は? 簡単だ。CはYの一次関数である。ならば、CとYを座標軸とした平面で、一次式のグラフを描けばよい。そのためには、中学生レベルの数学があれば、十分だろう。(やり方がわからない人は、中学の数学教科書を読めばよい。 y = ax + b という一次式をグラフにする方法だ。)
基本数式の第2式には、gおよびhという定数がある。gは、消費直線の傾きに相当する。hは、消費直線と縦軸との交点に相当するはずだ。gを「限界消費性向」と呼び、hを「消費定数」と呼ぶ。
A 仮説
一つの解釈として、次のような解釈がある。
「ミクロのモデルでは、需要曲線と供給曲線がだんだん左シフトしていく。マクロのモデルにおいて、三つの要素がマクロ的な均衡点に達したときに、ミクロのモデルにおいても、ミクロ的な均衡点に達する」
この解釈は、「マクロ的な均衡点に達したときに、同時に、ミクロ的な均衡点に達する」という解釈だ。これは一つの仮説である。この仮説は自然に思える。しかし、この仮説はあまり正しくはない。そのわけを以後で説明しよう。
B マクロのモデルからミクロのモデルへ
仮にAの解釈が成立するとしよう。すると、マクロにおける@の現象は、ミクロにおいては、次の二つのことに相当する。
「需要曲線について。……最初に、需要曲線が一挙に大きく左シフトする。そのあとで、需要曲線はだんだん左シフトしていって、最終的には停止する。」
「供給曲線について。……最初に、需要曲線が一挙に大きく左シフトするが、そのとき供給曲線は何も変動しない。そのあとで、需要曲線を追いかける形で、供給曲線がどんどん左シフトしていく。最終的には、需要曲線に追いつく。」
この二つのうち、前者は正しい。しかし、後者はあまり正しくない。前者についてはCで説明し、後者についてはD以降で説明しよう。
C 所得の効果
マクロにおいてスパイラルが進むとき、ミクロにおいて需要曲線はどんどん左シフトしていく。まさしくその通りだ。理由は、所得の低下である。
( ※ 古典派は、Cのことを理解しない。逆に、「需要曲線が変動しなければ」と虚偽の仮定を取る。こういう静的な認識をするところに、古典派の根本的な錯誤がある。)
D 生産量の変動
マクロにおいてスパイラルが進むとき、ミクロにおいて供給曲線はどんどん左シフトしていくだろうか? 一見、「イエス」と思える。というのは、マクロ的に「生産量」が減少していくからだ。
しかしながら、実際はそうではない。「生産量」が減少していくとき、供給曲線は左シフトしないのだ。供給曲線は固定されたまま、「生産量」だけが減少しているのだ。そのことは、次のEのことからわかる。
A 逆を実施した場合の失敗例
「中和政策」の逆を実施した場合の失敗例がある。
第1に、「増税による不況悪化」だ。不況脱出期に増税をすると、回復しかけた景気が悪化する。古いところでは、世界恐慌期の「財政緊縮」がある。近いところでは、「一九九七年の橋本増税」がある。このいずれの場合でも、景気はひどく悪化した。
第2に、「減税によるインフレ過熱」だ。好況期に、増税するどころか減税をすると、状況が悪化する。典型的なのは、いわゆる「放漫財政」である。この場合には、悪性のインフレが起こる。途上国でしばしば見られる。
A 上がったあとでは下がる
これは成立する。
まず、「限度なしに上がる」ということはありえない。「頭打ち」は不可避だ。
また、「過剰に上がったあとで反転する」ということもある。これは「過剰消費のあとでは過少消費になる」ということだ。借金の返済を迫られるのと、同じことだ。例としては、バブル破裂がある。バブル期には、資産価格が上昇した。資産価格が上昇しても、国民の富は増えていないのだが、「富が増えた」と錯覚したあげく、過剰消費した。そのあとで、「富は増えていない」という事実に気づいた。すると、過剰消費のツケ払いの形で、過少消費を迫られた。
現実の経済現象においては、「一意性」は成立しない。このことを、わかりやすく説明しよう。
今、何らかの経済モデルがあるとする。この経済モデルでは、「生産量」が関数となり、「貨幣量」や「労働者数」や「生産性」などが変数となる。変数は x、y、z のように示され、関数は f (x, y, z) のように示される。そして、変数と関数の間に、関数関係が成立する。次の図式のように。
x, y, z → f (x, y, z)
ここでは、関数関係がある。つまり、変数から生産量が決まる。この決まり方は、一意的である。
さて。「一意的である」ということから、「可逆的である」ということが結論される。たとえば、ある変数が50から40に減ってから、40から50に戻ると、関数としての生産量も、いったん減ってから、元の値に戻るはずだ。つまり、生産量の変化は、可逆的であるはずだ。(変化の前でも後でも、変数は50という同じ値なのだから、関数の値は f (50) という同じ値になる。それが一意性の意味。)
では、本当にそうなるか? この件については、先に説明した。(「縮小均衡の是非」の項のCで。)すなわち、次のようになる。
・ 回復可能 …… 生産量の減少が「稼働率の低下」による場合
・ 回復不可能 …… 生産量の減少が「生産能力の低下」による場合
前者の場合には「可逆的」だが、後者の場合には「不可逆的」だ。なぜか? 前者の場合には、稼働率が変動するだけだから、「稼働率を低下させてから上昇させれば、生産量は元に戻る」となる。後者の場合には、生産能力が変動するのだから、「生産能力を低下させてから上昇させようとしても、生産能力は容易には上昇しないゆえに、生産量は元に戻らない」となる。(覆水盆に返らず。いったんトンカチで壊した機械は、トンカチを逆にしても直らない。)
後者の場合には、変化の前と後を比べると、変数が50という同じ値でも、生産量の値は同じにならないのだ。つまり、関数の値は一意的にならないのだ。──とすれば、生産量の値を関数の形で f (50) というふうに記述することはできない。ここでは、関数は存在しないのだ。
B 沈没する船の救命ボート
「沈没する船で、各人が救命ボートに載る。救命ボートに載る人数が一定量までなら、全員が救命ボートに載れる。しかし、一定量を超えた人数が救命ボートに載ると、救命ボートが沈んで、載った全員が溺れる」(Aの場合と同様。)
C 火事の映画館
「火事の映画館で、各人が出口に向かう。出口に入る人数が一定量までなら、その人数は出口を通り抜けられる。しかし、一定量を超えた人数が出口に殺到すると、出口が詰まって、全員が通り抜けられなくなる」(Bの場合と同様。)
さて。BCの場合では、次のことが成立している。
「各人がそれぞれ、自己利益のための行動を取る。人数が一定量までなら、自己利益をめざす行動がまさしく自己利益をもたらす。しかし、人数が一定量を越えると、自己利益をめざす行動が自己に不利益をもたらす」 …… D
ここでは、古典派の信じる「神の見えざる手」という原理が成立しなくなっている。なぜなら、「神の見えざる手」という原理は、次のことを意味するからだ。
「各人がそれぞれ自己利益のための行動を取る。すると、自己利益をめざす行動がまさしく自己利益をもたらす」
一方、ケインズ派の理論では、これとは逆の原理が示されている。次のことだ。
「各人がそれぞれ自己利益のための行動を取る。すると、自己利益をめざす行動がかえって不利益をもたらすことがある」 …… E
これを言い換えると、次のようになる。
「各人が自己利益をめざす。少数がそうするならともかく、大多数がそうすると、逆に、その行動が各人にとって不利益になる」 …… F
この概念を「合成の誤謬」という。
不況のときには、「合成の誤謬」が成立する。換言すれば、「神の見えざる手」が働かない。
「神の見えざる手」が成立しない状況とは、「合成の誤謬」が成立する状況のことである。この状況は F → E → D → C → B → A → @ とたどることで、「硫酸銅の析出」の原理と同様となる。そしてまた、 @ は「均衡」から「不均衡」へと変化する現象なのである。
だから、「神の見えざる手」が成立しない状況とは、「不均衡」になった状況のことなのだ。こうして、「神の見えざる手」が成立しない状況、つまり、「悪魔の見えざる手」の成立する状況が、「均衡/不均衡」という基本概念で、説明されることになる。
結局、「悪魔の見えざる手」の本質を理解するということは、その根源にある「均衡/不均衡」という概念を理解するということなのだ。本書で長々と説明したことの背景には、「均衡/不均衡」という概念があるのだ。この概念があるからこそ、経済現象を正しく理解できるようになるのだ。
( ※ 本項で述べた説明は、やや大急ぎの説明であり、舌足らずだが。)
【 要旨 】
┏───────────────────────────────────
┃「均衡/不均衡」という概念は、経済学以外の分野でも成立する。
┃経済学における「均衡/不均衡」は、その一例であるにすぎない。
┗─────────────────────────────────── ◇等式と不等式